2007年10月30日火曜日

退屈は敵だ

昨日のエントリに少し書きましたが、第二言語の学習にあたって、大きな障害となるもののひとつが退屈ではないかと思っています。言語だけでなく学習全般にあたって退屈は敵なんですが、学習の初期であればあるほど、単純な繰り返しが多くなる第二語学の習得では、退屈をどうやって避けるかというのは案外重要な問題ではないかと思ってます。

退屈は学習効率を下げるという指摘は、心理学の方面からもなされています。というより、人間の記憶は興味のあること・関心のあることを優先的に保持するので、学習段階ですでに退屈する=興味がもてないでいることは記憶されにくくなる可能性が高いのです。また未知のことについて人間は関心をもちますが(好奇心)、理解できないものについては興味を失いやすいという性質も持っています。自分に必要な情報をそうやってフィルタリングするのでしょう。そこで、学習効率を高めるには「どうやって好奇心を持続させるか」ということも考えておくとよいと思われます。

いま学習というのは、いま現在理解していないことがらを記憶・理解する行為であると考えると、そこには二つの側面があるように思います。まず「適度に新しいことをする」。いままでとまったく変わらないこと、まったく新しいものがないことを繰り返していても、当然新しいことは身につきませんし、また好奇心や興味も消えてしまう虞があります。人間には「知っているものをみると喜ぶ」という側面がありますが、それにも限度がある。

とはいえまったく新しいことばかりで既知の要素がなにもないものだと、理解が著しく困難になります理解に多大な労力を要するようなもの、あるいは理解できないことを習っても、身につかない(=記憶できない)し、好奇心も持続できません。さきに「適度に」といったのはそのためで、なのである程度は知っていることが学習素材に含まれているのが望ましい。。新しい知識を獲得することが学習の目的ですから、新しいことをするのは当然と思われますが、新しすぎるのはよくないのです。それで、適度に理解できること、「適度になじみのあることをする」のが二番目です。まとめると、なんとなくは推測できるが分からないことがちょっとある、説明を聞いたらそれがなんだか理解できるがないとつらい、このくらいに「適度に新しく」「適度になじみのある」ことをするのがいいんではないかと思ってます。新奇ならなんでもいいというものではなくて、理解できないものにも人は退屈する。

スティーブン・クラッシェンは、言語習得 (language acquisition)についての仮説をたて、そのなかで"n+1仮説"を提唱していますが、それといま述べたことは通じると私は考えています。n+1 仮説というのは、「学習済みのこと(n)から+1だけ高度な内容を学習者に与えることで、言語の習得が起きる」というものです。自発的で発見的な言語の習得が起きるためには、適切な範囲で少しだけ高度な内容に接するのが必要で、それ以外の環境では習得が起こらない。

また、サジェストペディアというブルガリアで開発された学習理論がありますが(語学にも応用されているのでご存知の方もいるかと思います。実践者は少ないのですが)、そこでは、かなり大量の学習素材を学習者に与えます。少なすぎるとかえって学習が阻害されるといいます。脳は適切に働くために、相当に高度な複雑さを必要にしているというのです。これも退屈が学習を阻害するという考え方の系譜にあるのじゃないかと思います。

では退屈を避けるためにはどうしたらいいのでしょう。ひとつには誰かと組で学習するのがよいと思われます。人とのコミュニケーションやインタラクションはつねに新しい何かを持ち込むのに役立ちます。ゲーム・クイズなども効果的です。でもこれって誰にでもできることではありませんよね。私もほとんどの語学は独学ですので、口で言うより大変なのは知っています。

私の場合は、既に触れたように独習が多いので、気分の切り替え方を工夫して退屈しないようにしています。
  1. 学習素材や練習法の切り替え。言語学習では繰り返しがある程度大事なのですが、飽きてくるまで繰りかえさないようにしています。完全に理解できている場合 は昨日のようにそこでやめてしまいますし、まだの場合でも違う学習素材や練習法に切り替えます。練習法を変えるというのはある程度有効ですが、それでも学 習素材を切り替えるほうが気分の切り替えには役立ちます。極端な場合は、他の言語やぜんぜん言語学習とは違う作業をはじめたりします。
  2. すこし休憩を取る。ドイツで語学学校に通ったことがあるのですが、そこの学校では90分の授業のあと10分ほどの休みが必ずありました。どこの学校でもか ならず休憩時間はありますよね。姿勢をかえたり飲み物を取ったりすることも、気分の切り替えに役立ちます。また私が取っていたクラスの先生はそれとは別に 10分くらいの休みをいれることがありました。だれてきたら思い切って休むのも大事ではないかと思います。
  3. 環境を変えてみる。語彙の増やし方で Garden method というのがあります。公園でみかけるものから連想法で語彙を増やしていくというものです。学習はかなりいろいろな場所ですることができます。マンネリ化し ているときには、思い切って場所をかえてみるのもよいと思います。また普段自分の部屋でしている学習をたまに喫茶店などでしてみるのも、環境の違いがよい 刺激になることがあります。
  4. 休む。たまには言語学習をしない日というのがあってもよいと思います。遊ばぬジャックは気が狂う。有機的で効率的な言語習得のためには、母語(私の場合は 日本語です)の運用能力を維持ないし向上させておくのが効果的です。やや遠回りに見えるかもしれませんが、中級以上の方は、目標言語の習得だけにこだわら ないほうがよいだろうと思います。そして母語の運用能力は日常生活を通しても付きますので、実は総体的な言語能力についていえば、特に意識的な訓練をして いないときでも、つねに維持・向上が行われているのです。一日くらい休んでも大丈夫。

ところでこれを書いているバックグラウンドで ChinesePod のダイアログを流しているのですが、意味がところどころ分からないのでそろそろつまらなくなってきました(あれ)。というわけでさっそくテキストをみて、意味を調べに行きます……

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